“いき”は、「媚態」「意気地」と「諦め」の3つの契機から内包的構造を成す、という。この場合の“諦め”とは、「運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心」をいい、その“無関心”とは、「世智辛い、つれない浮世の洗練を経てすっきりとした垢抜した心」をいう。“いき”につながる“諦め”。自己との葛藤を乗り越え、しなやかに、したたかに生き抜いていくための思考技術なのである。