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労働実務Q&Aこれで解決!

就労請求権

Q.

 私の夫は、仕事が趣味のような職人気質の人で、56歳の今日まで会社一筋に働いてきました。夫にとって、仕事は生活の糧を得る手段であるだけでなく、心を磨き、人間性を高める場であり、生きがいそのものなのです。先日、社長から、「熟練者の仕事が減っており、給料は保障するので、しばらく自宅待機をしてもらえないか」という打診を受けました。これまでどおり、会社で働かせてもらえるように、社長に請求することはできませんか。

A.

 人は何のために働くのか。労働を「苦しみ(罰)」と捉えるのか、それとも「喜び(天職)」と捉えるのか、という根源的テーマに通底する問いかけです。多くの人が働くことの意義や目的を見出し得なくなっているなかで、ご主人の確固とした労働観に敬服します。ただし、倫理上もしくは社会通念として是認できる考え方であったとしても、労働者が使用者に対し、労働することを請求する権利をもつかどうかは、なかなか困難な問題です。


◆就労請求権とは

 就労請求権とは、労働者が使用者に対し、労働契約上の権利として自らの就労を求める権利をいいます。この権利を肯定できるか否かが問題です。
 労働契約は、「労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払う」契約関係です(労契法6条)。これにより、労働者は使用者の指揮命令に従って一定の労務を提供する義務を負い、使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担します。
 この基本関係を超えて、労働者が使用者に対して、就労させることを請求する権利を認めることができるかどうか、という議論です。労働者の就労請求権が肯定されれば、使用者は、労働受領義務を負担することとなります。もちろん労働契約にその旨の合意(特約)があれば認められますが、そうでない場合にどうなるか、ということです。


◆学説の原則肯定論

 学説は、かつて、原則肯定説が多かったようです。いわく、労働とは、賃金を得るための手段的活動であるばかりでなく、人間にとってそれ自体が目的である自己実現の過程であり、現実の労務給付自体が権利として保護されなければならない。あるいは、憲法27条1項の労働権は、人間の尊厳に値する労働を維持する権利としての意味を含む、などという理論構成が主張されています。
 いずれも、労働契約関係の特殊性に着目し、自己実現や人間の尊厳といった格調の高い概念にあふれた魅力ある見解といえます。
 しかし、就労すること自体を請求権として主張するには、いくぶん説得力が不足しているような気がします。使用者に現実の受領を強制し得ることが可能かどうかについての論究も必要なのではないでしょうか。


◆原則否定・例外肯定論の通説・判例

 これに対し、就労請求権を原則否定するのが通説・判例の立場です。すなわち、労働契約は労務の提供と賃金支払が対価関係に立つ有償双務契約であり、労務の提供は義務ではあっても、権利ではない、と考えるのです。したがって、使用者は、賃金さえ支払っていれば、提供された労働力を使用するか否かは自由であり、労働受領義務もない、ということになります。
 判例も、この論拠にもとづき、「労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合を除いて、一般的には労働者は就労請求権を有するものではない」としています(読売新聞社事件 東京高決昭33・8.2)。
 請求権とは、他人に一定の行為をなさしめるもの。相手の協力が不可欠である以上、法的助力を得るのは、容易ではありません。

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